頭を坊主にして、ひたすら勉強に明け暮れた暗黒の日々が終わり、入った学校が早稲田大学理工学部電気工学科。
浪人して瘦せこけた体を鍛えなおそうと入ったのが、理工ボート部。結果、早稲田大学理工ボート部卒ということになる。
1年の秋だったか、いきなり大学紛争となり、学校封鎖にみまわれる。教授が馬鹿に見え、勉強に身が入らず、ひたすらボートを漕ぎ続けた。
3年の春、早慶レガッタの漕手に抜擢され、慶応医学部に勝つ。4年、エイトのクルーキャプンとして、オックスフォート盾選手権に出場し、
予選、敗者復活戦でも負けて悔しい思いのまま夏が終わる。
長い合宿生活のため研究室には殆ど顔を出すことができず、ひとりで出来る卒論を探してやっとの思いで卒業。
今でも、落第した夢を見ることがあるほど、ちょっとしたトラウマになっている。
卒業してすぐに就職せず、♪横浜から船に乗ってナホトカに着いた♪
モスクワまでシベリア鉄道に揺られヨーロッパに入り、3か月13か国をひとり旅。
その後、空調工事会社に就職し、3年目にシンガポール支店配属となりひたすら工事現場で監督。
シンガポールで肝炎にかかり帰国し、4年目に独立して設備設計会社を立ち上げ今でも現役で働いています。
シンガポール時代に留守宅に届いた稲門会の通知が気になり、ちょっとのつもりで顔を出したら、とうとうどっぷりとなり、
今は会長などという結構な役職についています。
早稲田の校風が合うのか、先輩後輩問わず、早稲田出身というだけで、何か親近感がわき、楽しい時間を共有することができています。
本当は何でも一人ですることが好きで、群れたりするのが苦手な性格なんですが、お役目だと思って今はそれなりにやっています。
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