年頭によせて
鈴木茂夫
あけましておめでとうございます。2026年・ 令和8年が明けました。
みな様に今年がより良い年でありますように。
年頭にあたり、心に浮かぶことを、取り留めも無く述べてみます。
昔の昔(1868-1945)。日本には4つの国家の祭典「4大節」がありました。
昭和24年(1949年)の年が明けました。今年は大学試験の年です。私は早稲田大学第一文学部の志望に絞っています。
2月8日火曜日。朝食が終わると。リュックサックに荷物を入れました。陸軍放出の編み上げ靴を履きます。母が笑顔を見せました。
「晴れの門出だから送ってあげるわ」
2人で名残の雪を踏みしめて歩きました。バス停を見下ろす坂道の中程で母は、立ち止まりました。私は何度もふり返り、手を振りました。母の姿は塑像のようでした。
NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」の放送が終わった。日本で初めての女性弁護士、女性判事として戦後の法曹界で活躍した三淵嘉子さんがモデルの物語だった。民主主義がもたらされた戦後であっても、根強く残る女性差別と戦ってきた彼女の生涯を、ドラマでは主人公の寅子の物語として描かれていた。寅子は、疑問に感じたことに対して「はて?」というのが口癖だ。たくさんの「はて?」を通じて、社会に女性差別という疑問を投げかけていた。
1982年4月1日、私は早稲田大学教育学部教育学科教育学専修に入学しました。いわゆるトリプル教育といわれる専修で、ここから「教育とは何か?」を問い続ける日々が今でも続いているような気がします。
私は、早稲田大学が大好きです。自宅が、下駄で歩いて10分くらいの所で、まかない付きの下宿屋をしており、早稲田の学生ばかりでした。受験は、早稲田一本で、一浪して、昭和35年第一文学部ロシア文学科に入り、昭和39年に卒業しました。大濱信泉総長のもと、そうそうたる名物教授に学びました。
昭和38年(1963年)に第2理工学部建築学科を卒業し、大阪に本社のある中堅ゼネコンに就職しました。
22年間は現場(北海道、岩手、宮城、茨城、群馬、埼玉、東京、神奈川)で働き、その後8年間は海外事業部(主としてグアム)、そして7年間は東京本店勤務となり、2000年6月に定年退職しました。
原田さんに続いてのエッセイ、うれしいです。というのは、原田さんのご両親の出身が長野県飯田市、私は、その近くの岐阜県中津川市苗木出身。1998(平成10)年には、飯田―中津川間を高速バス「いいなかライナー」が走り始めました。このネーミング、気に入っていたものの、廃線となってしまいました。しかし、飯田・中津川とも、品川―名古屋間500キロを40分で結ぶリニア中央新幹線の停車駅となっています。
立川稲門会のホームページにエッセイを掲載するにあたって何をテーマにするか考えたとき、やはり立川について書くべきかと思う。 私は立川生まれの立川育ち。また、立川とその周辺に私のいとこは、亡くなった人も含めれば、10人以上はいる。しかし、父も母も長野県飯田市出身。その詳しいいきさつを私は実は比較的最近従姉から聞いて知った。...
エッセイが始まります。まずは、小林会長が執筆します。