立川稲門会のホームページにエッセイを掲載するにあたって何をテーマにするか考えたとき、やはり立川について書くべきかと思う。
私は立川生まれの立川育ち。また、立川とその周辺に私のいとこは、亡くなった人も含めれば、10人以上はいる。しかし、父も母も長野県飯田市出身。その詳しいいきさつを私は実は比較的最近従姉から聞いて知った。
父は、9人兄弟の7番目。2つ上の兄が、若い頃、両親に「ぜひとも大学へ行きたいので、学費を出してほしい。その代わり、下の二人の弟の面倒は必ず見るから」と頼み込んで、名古屋の大学に通った。その後に何かしらのつてで、立川市柴崎町に住むようになり、起業した。松下電器系の電設資材総合卸商社だった。昭和22年の事である。
父は、兄に呼ばれ、飯田で見合いをして母と結婚、昭和24年に立川市錦町に居を構えた。一つ上の兄とともに、3兄弟で会社を大きくしていった。当初柴崎町にあった会社は、手狭になり、工場の部分を錦町の我が家に移転した。私が小学生の頃の話である。父は実際には営業で出ており、工場で働いていたわけではなかったが、工場は若い従業員達の活気に満ちていた。私たち兄弟も随分かわいがってもらった。まさに親会社の松下電器の社風同様家族のような関係だったと思う。
さらに手狭になり、柴崎町と錦町に分かれていた会社が、昭和42年昭島に移転した。さらに発展していったが、創業者の伯父は平成元年に死亡、次の伯父、そして父も亡くなり、会社は伯父の娘婿に引き継がれるも令和2年に人手に渡り、原田一族との縁は切れた。
会社は今も残っている。そこを通るたびに、若い伯父が青雲の志を持って会社をおこし、父達と努力して会社を大きくしていった、まさに「つわものどもが夢が跡」を見る思いがするのだ。 (原田)
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小林和雄 (木曜日, 21 12月 2023 11:02)
原田さんのルーツに触れ自分のルーツを思い出させてもらいました。
私の父も山梨県塩山から戦後母の実家のある立川に住み、裸一貫で石炭屋を起こしました。そのお陰で自分がいて起業して今があることをあらためて思います。
ところで叔父さんたちの会社の屋号は何でしょうか?もしかしたら覚えているかもしれません。昔の立川を思い出して懐かしんでいます。
伊藤裕康 (金曜日, 22 12月 2023 13:17)
原田さんの伯父さんたちの会社は、立川電機株式会社で、ホームページもあるということで、その沿革を見ると、確かに創業者に、「原田」の名字がありました。
ところで、原田さんのご両親が長野県飯田市の出身とは、意外でした。次の順番のエッセイでは、飯田から引継ぐ形で、昔あった飯田→中津川の高速バスの「いいなかライナー」の話を入れたいと思います。
小林和雄 (土曜日, 23 12月 2023 16:07)
そうですか。立川電機株式会社でしたか。バイパスにありますね。ルーツが原田家にあったとは、知りませんでした。私の仕事でも名前を目にすることがあります。意外なつながりで面白いです。長野の次は中津川でしょうか。やはり出身高校とか出身地とかの情報は話題がひろがっていいですね。