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早稻田大学第一文学部に絞って

     昭和29年 文学部卒  鈴木 茂夫

昭和24(1949)の年が明けました。今年は大学試験の年です。私は早稲田大学第一文学部の志望に絞っています。  

28日火曜日。朝食が終わると。リュックサックに荷物を入れました。陸軍放出の編み上げ靴を履きます。母が笑顔を見せました。   「晴れの門出だから送ってあげるわ」

2人で名残の雪を踏みしめて歩きました。バス停を見下ろす坂道の中程で母は、立ち止まりました。私は何度もふり返り、手を振りました。母の姿は塑像のようでした。

名古屋駅から午後10時発の特急に乗車、翌98日午前6時過ぎ東京駅着。

高田馬場駅から大学へ。書店と喫茶店が散在していました。坂上の三叉路で本屋に挟まれたた路地をたどると学園でした。大隈講堂も大隈銅像も目の前にありました。銅像の横手の建物は爆撃で壊されていました。早朝です。誰もいません。銅像を見上げるベンチに座りました。私はここを学び舎にするのだと改めて思ったのです。そばの外食券食堂で食事を済ませて大学に戻ると、大勢の受験生が群がっていました。文学部の競争率は10倍ほどだとか。 

午前9時、答案用紙が配られました。1時限は英語、全部で5問。文章には節もあるし句もある。文の構造を理解しなければならない。優しくはないが、難しくもない。ひねった文章はない。慎重に答えを書いた。

2時限は国語だった。嬉しいことに問題の1つは「日本永代蔵」からでした。京都で著名な桔梗染屋の話です。昨年秋、高校でしっかりやっていたところでした。

3時限は社会でした。日本史、世界史、人文地理、時事問題、一般社会の5教科の答案が配布されました。この中から1教科を選ぶのです。私は日本史を選びました。設問の中に応仁の乱がありました。京都の町を焼き尽くしたこの戦乱は、複雑な経過をたどっています。きちんとその経過を押さえていないと正解は出ない。やっておいて良かったと書き込みました。

そして2日後の11日、1次試験の発表。合格していた。早稻田が近くなってきた。

12日、2次試験は口頭試問だった。 「君はどうして文学部を受けたの」

 「作家かジャーナリストになるには、早稻田しかありませんでした」

東洋哲学科の主任教授・福井康順先生は、笑ってうなずきました。

1日おいて最終発表。合格でした。郵便局へ。合格の電報を打つのです。市外普通電報はカタカナで10文字30円。超過料金は10字ごとに30円。至急電報は普通電報の2倍。

私は嬉しさを表現したかったから、文字数で圧縮せず思い切って書きました。

 「ワセダダイガクダイイチブンガクブトウヨウテツガクカゴウカク」

 中年の係員が文面眺めて笑顔を見せた。

 「長くなったね。おめでとう。頑張ったんだ。38字だから70円になるよ」

211日、わが家へ戻りました。母と父の墓へ。墓は家の敷地の中です。

角帽を父の墓標にかぶせたり、手をあわせいる。 涙の母。 

裏山に登りました。低い山々が連なっているわが故郷。声をかぎりに校歌を歌いました。